僕の苦悩な性格
【2019年04月25日】
どうも。takaです!
近頃、本格的に冬が終わったなぁと
感じる気候になってきましたね^ ^
寂しさもあり、懐かしさもあり、
楽しみな感覚もありますよね。
僕は、これに加えて焦りがありますが😭
と、前置きはこれくらいにしといて。。
実は今日でですね、
ブログを書き始めてまだ4回目なのですが、
ちょこちょこっと、このブログを読んでくださっている方がいるとわかって、
すごく嬉しかったんですよね!!
て、だけ言いたかった訳じゃなくて、
本日は僕の今までの苦悩についてお話ししたいと思います。
僕は、幼い頃からヒトと違うんだなって感じていました。
というのも、とある私立の幼稚園に通い、周りにはボンボンが多くて、僕はごく普通の家庭。
それもあって、周りと違うのかと思っていました。
ですが、そうではなかったのです。
この歳になっても、
幼稚園の頃味わった恐怖がいまだに蘇りますし、いまだに同じ感覚に襲われます。
周りより理解が遅くて、シャイで、寂しがり屋。でも、周りより運動はそこそこできるし、自分の周りには友達がいて、先生は僕を過保護にしていたようにも思います。
だから、短所があっても、授業以外は人より目立てるし、常に注目されていた気分でした。
まぁ、勝手な妄想だったのかもしれませんけどww
だけど、言えることはヒトと感覚がすごく違っていました。
そのせいか、ヒトの目や顔色、言動にすごく敏感で、毎日すごく疲れていました。
ある意味、その分ヒトから嫌われることもなく、空気が読めていたのかもしれませんけど。
遠足なんて言えば、遠足の前日は眠れない程楽しみになって、家では色んなイメトレをしていました。気になってる子の視界に自分が入るにはどうしたらいいかなぁとか、こんなことしたらどんな感じになるのかなぁっとか。
いつも、自分は主人公。
自分が物語の主役になんだと思っていました。
でも、実際遠足に行くと、何もできないし、イメージとはかけ離れた情景を目にしたものです。イメージと一致したときはすごく興奮するけど、帰りにはもう終わってしまうということで泣きそうになり、寂しくなるのでした。
と、少し格好つけましたが、
実は家では泣いていました。
いつも泣いていました。
でもなぜ泣いているのか、
その時は全くわからなかったのです。
ただ、涙を流し、鼻水を啜り上げることしかできませんでした。
この感覚。僕にとってはすごく怖いものでした。
二度と同じ空間を作り出せないという失望からやってくる怖さだったのです。
だから、
イベントがあると嬉しい反面、
終わった後のこの感覚がすごく怖くて、本気で楽しめないということが通常状態になってしまいました。
そんな感覚を持ち続けて、はや20年近く経ちましたが、何の進歩もなく高専生活も終えました。
高専といえば、
高専祭が醍醐味で、5年生の時には本部役員として運営する側にも立ちました。
ですが、どうしても本気になれないし、
思いっきり楽しめないのです。
本部の仕事が大変な時には早く終わってくれとさえ思ってましたし、心の中にはいつもその怖さがあったので、その時をただ乗り切るしかない精神状態でした。
だから、全力になれなかったのです。
恐ろしいことに、
周りからは冷めてるだの、
協調生がないだの、
やる気ないだの、
今までに散々言われてきましたが、
その背景にはいつもその怖さがあったのです。
全力になればなるほど、
その後が怖いから。燃え尽きたくないからと。
ただの言い訳にしか感じないかもしれませんが僕には、全力で取り組めない心理があったのです。
すごく、醜い言い訳です。自分でも感じます。
そして、卒業し、就職。
しかし、どんだけ感覚の違いや、能力の低さに魘されることがあっても、就職した時には希望しかありませんでした。根拠のない希望しか。
今までは何でもイメージしてから行動する人間だったのに、就職する時だけはイメージのかけらもしていませんでした。すると、いきなり心は壊れ始めました。
仕事内容のイメージが違った?
人間関係がうまくいかない?
まぁ、どっちもYESですね。でも、前者はそもそもイメトレしてなかったのですから少し違いますけど。
だけどそんなものは、一般的な原因であって、
本当の真の原因は、心の底に埋もれた純粋な気持ち。すなわち、怖い感覚を完全に忘れて、大人になろうとしていた自分がいたからでした。
もちろん、仕事内容、人間関係は
自分にとって不満足でした。
でもそれはみんなそうなんだよって言う社会の空気だけはどうしても気持ちが悪くて、
みんなやりたくてやっている人なんていないだとか、やりたいこともないくせにほざくなとか、もう聞き飽きました。
これはこうなんだ。とか、
こういうもんなんだ。とか、
仕事の中でもよく聞いたフレーズですが、
人間としてもそういう考え方の人が多くて、悲しい人生だなって強く思うことがよくありました。
もちろん、文句を言いながらも会社に服従する同僚、上司を尊敬する部分もありますが、
不満な仕事を続けている人に対しては、僕に何を言える立場なんだろうとしか思えませんでした。
仕事内容の教育、人間関係の形成の仕方、
これは嫌々でも働いていたら身につけなくてはならないスキルですが、人間として僕を否定したり、会社員の一人として侮辱する人間だけは許せませんでした。
というより、そんなやつに負けること自体許せませんでした。
だから、仕事を続けるにしても、
転職を考えるにしても、
他の働き方を見つけるにしても、
絶対あいつらみたいなヒトにはなりたくないと思いました。
心の底に潜んでいた純と言える怖さの正体を知った以上、"普通" "常識" "一般的" という、
この世の中に溢れる気持ち悪い感覚からは逃れたいと思います。
つまり、"怖い"という心理にある、
二度と作り出せない世界の感覚を、もっと自分は大切に生きなければと思うようになったということです。
ヒトと違う感覚を持っているのなら、
それを生かせるクリエイティブな考え方を
より壮大にしていくのも面白いと思うようになりました。
現段階では、思うことで精一杯ですが、
時間をかけて作り上げて生きたいです。
おしまい。